『新たな芽生え 』 ~風だより より

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「春、草木の匂い」
自然、季節のめぐりは確かなものですね、
野山に分け入ってみるとそこここに春の匂いが漂ってきます。それは草木が芽生えるときの言い知れぬ生命の匂いであるのかもしれないし、春の陽ざしを受けて立ちのぼる水気の醸し出す香りなのかもしれない。
 芽吹き始めた木々の根元には名も知れぬ小さな草の芽が競うように黒い地面から淡い緑を覗かせています。森の中に射し込むシルエットを浮かび上がらせている荘厳さは、そこに立ち入る人を神秘の香りに包みこんで忘我の世界へと導いてくれます。春の山道では、芽の萌黄色にも、小鳥のさえずりにも、せせらぎのかすかな水音にも、たっぷりと朝露を含みこんだ岩肌から立ち昇る水蒸気の中にも、ほのかな匂いが感じとれます。いや、むしろ何がしかの匂いを感じたとき、そこにそれらの姿や音が湧出し、私の目や耳に入ってくるのかもしれない。
 若しかすると私たちの五感はいちばんに匂いから始まるのではないかと思うほど何かをふと思い出させるようなとき、そこに少し懐かしげな匂いを先ず感じることがあります。犬などの動物は人の数千倍の嗅覚を持つと云われますから人間もまた嗅覚がいちばん原初的な感覚であるのかもしれないと思ってみたことです。
 匂いの香しさも、春の陽を浴びた草木の風光も、山野の自然が醸し出す妙音も、すべて自然の営みは分け隔てなく私たちを包み込み、分け隔てなくあらゆるものを私たちに与え続けてくれます。自然の生命から与えられるそれらに身を委ね一体を感じる、それを仏典では一味という。そこに私たちはひときわ深い心の安らぎを得ることができるように思います。
「すべての境は自身がつくっている」
融通無碍という経典の語は、すべての境を取り払って一味、一如となるとき人生の苦もまた自ずから消えて、そこに安楽の境地が現出することを説いています。無碍光如来とは、阿弥陀佛の別名ですが、隔て無き光の中に慈悲や智慧の平等を表しています。全てのものにはもともと境界などはない、全ては平等であることを説いています。この仏典で言う平等とは、皆が同じという意味ではなく、それぞれは異なった姿かたちをしているが、そこにはもともと境などはなく融通無碍であると説いているのです。
 つまり、全ての区別はほかでもない自分自身の心がつくっているのであり、もともと自然は無碍であり平等である。これを「自然(じねん)」と読みます。それは、ご縁により与えられた尊い命という意味であり、大自然の中に生命の神秘を見出し、敬虔な心を抱き続けた先人達の謙虚な生き方でもあったのです。
 自他の区別を離れることは言うほどに容易いことではありませんが、大自然の息吹の中に身を置いて静かな瞑想の時を持ってみるとき、そこにほのかな安らぎの心を見出すことができるのではないでしょうか。
ーお寺のある暮らしー 風だよりvol.117より  法福寺閑住職 文

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