風だより

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コツコツと続ける努力が本当の強さを築く
仏教の教えの中に、〝精進〟という言葉があります。これは前回お話しした六派羅蜜の一つでもあり、簡単に言えば「たゆまぬ努力を続けること」。ここでもポイントは、継続させることにあります。一時的に爆発させるパワーよりも、毎日コツコツと蓄えた力、またそれを実践した人の方が何よりも強い。常にそうした努力を維持できていると、それが自分のベースとなり、何か大きく状況が変わった際にも冷静に対処でき、正常な状態へ戻ることができます。先の大震災や為替変動に大きく左右されてきた私たちの社会。これからは、そうした厳しい変化の中でもベースとなる暮らしを保つために、一時的でなく持続的な努力が必要だと感じます。
持続力のカギは食にあり
果てしない修行を支える精進料理

精進というと、精進料理を思い浮かべる方も多いかもしれません。修行僧が食すこの料理は、その名の通り、精進を積むための食事です。実はこの料理、生きるものを殺してはならないという不殺生戒を守るための菜食、という側面もあるのですが、修行を続けるためには欠かせないものなのです。肉や魚などの動物性タンパク質は、主に瞬発的な力を生み出すエネルギーとなるものです。パワーを得ると、体内にはアドレナリンが分泌され、心には色々な欲が生じてきます。逆に、精進料理に使われる野菜や豆類、穀類が持つ植物性タンパク質は、ゆっくりと体内に吸収され、持続的に力を与えてくれます。余計な欲を抑えて静かな心を保ち、なおかつ細く長く厳しい修行を続けていく力を得るために、植物性タンパク質を摂取する精進料理が生まれたのです。
-中略-
「食べることは、生きること」と良く言いますが、食は人間の根本だと思います。食生活が崩れると、心も体もすべてが崩れてしまう。もちろん外食の楽しみや動物性たんぱく質を含めた栄養バランスも大切ですが、ちょっと心や体が疲れたなと感じた時には、食生活を見直して野菜を中心にした食事で身体を労わってみるのも、ひとつの方法だと思います。
ーお寺のある暮らしー風だよりvol.118 より   文 法福寺住職 西部元照

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「春、草木の匂い」
自然、季節のめぐりは確かなものですね、
野山に分け入ってみるとそこここに春の匂いが漂ってきます。それは草木が芽生えるときの言い知れぬ生命の匂いであるのかもしれないし、春の陽ざしを受けて立ちのぼる水気の醸し出す香りなのかもしれない。
 芽吹き始めた木々の根元には名も知れぬ小さな草の芽が競うように黒い地面から淡い緑を覗かせています。森の中に射し込むシルエットを浮かび上がらせている荘厳さは、そこに立ち入る人を神秘の香りに包みこんで忘我の世界へと導いてくれます。春の山道では、芽の萌黄色にも、小鳥のさえずりにも、せせらぎのかすかな水音にも、たっぷりと朝露を含みこんだ岩肌から立ち昇る水蒸気の中にも、ほのかな匂いが感じとれます。いや、むしろ何がしかの匂いを感じたとき、そこにそれらの姿や音が湧出し、私の目や耳に入ってくるのかもしれない。
 若しかすると私たちの五感はいちばんに匂いから始まるのではないかと思うほど何かをふと思い出させるようなとき、そこに少し懐かしげな匂いを先ず感じることがあります。犬などの動物は人の数千倍の嗅覚を持つと云われますから人間もまた嗅覚がいちばん原初的な感覚であるのかもしれないと思ってみたことです。
 匂いの香しさも、春の陽を浴びた草木の風光も、山野の自然が醸し出す妙音も、すべて自然の営みは分け隔てなく私たちを包み込み、分け隔てなくあらゆるものを私たちに与え続けてくれます。自然の生命から与えられるそれらに身を委ね一体を感じる、それを仏典では一味という。そこに私たちはひときわ深い心の安らぎを得ることができるように思います。
「すべての境は自身がつくっている」
融通無碍という経典の語は、すべての境を取り払って一味、一如となるとき人生の苦もまた自ずから消えて、そこに安楽の境地が現出することを説いています。無碍光如来とは、阿弥陀佛の別名ですが、隔て無き光の中に慈悲や智慧の平等を表しています。全てのものにはもともと境界などはない、全ては平等であることを説いています。この仏典で言う平等とは、皆が同じという意味ではなく、それぞれは異なった姿かたちをしているが、そこにはもともと境などはなく融通無碍であると説いているのです。
 つまり、全ての区別はほかでもない自分自身の心がつくっているのであり、もともと自然は無碍であり平等である。これを「自然(じねん)」と読みます。それは、ご縁により与えられた尊い命という意味であり、大自然の中に生命の神秘を見出し、敬虔な心を抱き続けた先人達の謙虚な生き方でもあったのです。
 自他の区別を離れることは言うほどに容易いことではありませんが、大自然の息吹の中に身を置いて静かな瞑想の時を持ってみるとき、そこにほのかな安らぎの心を見出すことができるのではないでしょうか。
ーお寺のある暮らしー 風だよりvol.117より  法福寺閑住職 文

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